2013/05/12

訣別

ハイテンションセックスガールの解散に、soraの解散、aieの活休、そしてcurveの解散。海外で言えばcomadreの解散がタイムリーで。シーンを引っ張ってきたバンドがどんどんとその姿を消していく。上記3バンド以外にも挙げるとキリがないのだけれど、個人的には超タイムリーなcurveの解散に最も衝撃を受けた。高松で言えば、The pianos、yesterday once more解散以来の気持ち。

残念とか、なんでだよって気持ちも当然あるけれど、解散や活動を止めるということに至ったその心情が気になって気になって。ユウセイさんとは数回しか話したことはないし、まだユウセイさんのことなんて何も知らないけれど、少なくとも俺はcurveの歌に救われて来たし、till the endを聴いた時の自分の中のドロドロとした部分がなんだか許されていくような、透き通るようなあの気持ちはここ最近あの人達でしか体感できていない。

辞めるということが、必ずしもマイナスではないと思うし、続けることだけが意味を産むわけでもない。そこに意味を見出すのは表面的な活動歴ではなく、その具体性と説得力。何を考え、何を伝えようとして、何を残したかったのか、であると思う。


バンドが息を引きとる時、その当人らが何を思っているかを本当の意味で理解することはできない。だけれど、終わるということを意識した時、絶対にもう一度見ておきたい。って思われるバンドにならなくてはと自戒。



少なくとも俺達は、まだ終わるということに意味を見出せない。いや、見出すには早すぎる。
少しでも気が抜けてバンドに向き合えないなら、今のスタイルを崩さなくてはならないなら、それはこの四国という土地に於いて存在証明することは不可能だ。そん時は、ただ上辺の活動歴だけ積み重なったしょうもないバンドになってしまう。そうなってはいけない。

決別を。差別化を。上以外見ちゃいけないのよ、若いうちは。まぁローカルの範囲しか見えてない俺はまっだまだ小粒ちゃんだね。



curve、最低でもあと一回はどこかで見る。救われる為にに。「辞める」という真意を確かめる為に。